モータージャーナリスト兼コンサルタントの二階堂仁です。
この記事を読んでいる方は、私がどのような経歴で、どのような想いを持って自動車に関する情報を発信しているのか、気になっていることと思います。
私も実際に様々なメディアで専門家のレビューを読むたびに、その執筆者の背景が気になることがよくありました。経歴や車に対する哲学を知ることで、発信される情報の信頼性や視点がより深く理解できるからです。このレビューでは、私のこれまでの歩みと、車への尽きない情熱についてお話しします。
この記事のポイント4点
- 大手自動車メーカー開発者からジャーナリストへの転身
- 数々の名車を所有してきた経験に基づくリアルな視点
- 愛車レクサスLFAと日産GTRへの特別な想い
- スペックだけでは語れない自動車の真の価値を追求
筆者のプロフィールとこれまでの歩み
まずは、私の自己紹介をさせていただきます。自動車との出会いから、開発者を経て、なぜジャーナリストとして情報を発信するに至ったのか。私のルーツとも言える部分をお話しすることで、このメディアが目指す方向性をご理解いただければ幸いです。
幼少期と刷り込まれた「R」の残像
物心ついた頃から、私の周りにはいつも自動車がありました。父が自動車好きだったこともあり、週末になるとよくドライブに連れて行ってもらった記憶があります。ミニカーは私の何よりの宝物で、その中でも特に心を奪われたのが、日産のスカイラインGT-Rでした。
当時、子供ながらに「R」のエンブレムが持つ特別な意味を感じ取っていたのだと思います。他の車とは明らかに違う、獰猛でありながらも洗練されたオーラ。直線的なボディライン、丸目のテールランプ。その姿は、私の脳裏に鮮烈な残像として焼き付いています。特に忘れられないのが、R32型スカイラインGT-Rです。グループAレースでの圧倒的な強さは、子供の私にとって絶対的なヒーローの姿そのものでした。いつかはこの「R」を自分の手で運転してみたい。その一心で、自動車の専門誌を読み漁り、メカニズムの知識を貪欲に吸収する毎日でした。この幼少期の強烈な原体験が、私の人生を自動車の道へと導いたことは間違いありません。
慶應義塾大学で学んだことと自動車への情熱
「将来は自動車を作る仕事に就きたい」という一心で勉学に励み、幸いにも慶應義塾大学の理工学部に進学することができました。大学では、機械工学や材料力学、流体力学といった、自動車開発の根幹をなす学問を徹底的に学びました。
しかし、私が大学で得た最も大きな財産は、学問的な知識だけではありません。それは、多様な価値観を持つ仲間たちとの出会いと、物事の本質を多角的に捉える視点です。慶應義塾には、様々なバックグラウンドを持つ優秀な学生が集まっていました。彼らとの議論を通じて、技術的な正しさだけが全てではないこと、ユーザーが車に求める価値は千差万別であることを学びました。
例えば、燃費性能を突き詰めることが技術的には正しくても、ユーザーが真に求めているのは「運転する楽しさ」や「所有する喜び」かもしれない。この視点は、後の開発者時代、そして現在のジャーナリストとしての活動においても、私の根幹を支える重要な哲学となっています。技術と感性の融合、それこそが真に優れた自動車を生み出す鍵であると、私はこの頃から確信していました。
大手自動車メーカーでの開発者時代:理想と現実の15年
大学卒業後、私は長年の夢を叶え、国内の大手自動車メーカーに就職しました。配属されたのは、まさに自動車開発の中枢であるシャシー設計部門。サスペンションやステアリングといった、車の「走り」を決定づける重要なパーツの設計に携わることになったのです。
開発の現場は、まさに理想と現実がぶつかり合う場所でした。最高の走りを目指して理想的な設計をしても、コストの壁、生産性の壁、さらには他部門との調整など、様々な制約が立ちはだかります。寝る間も惜しんで設計と試作を繰り返し、実走テストではコンマ1秒のフィーリングにまでこだわりました。
私が特に情熱を注いだのは、ドライバーの意のままに操れる、官能的なハンドリング性能の実現です。ステアリングを切った瞬間の応答性、コーナーを駆け抜ける時の一体感、路面からのインフォメーションの伝わり方。スペックシートには現れない、こうした「感性性能」をいかにして引き出すか。そのために、開発チーム内では昼夜を問わず激しい議論が交わされました。時には意見がぶつかり、衝突することもありましたが、全員が「もっと良い車を作りたい」という同じ目標を共有していました。
この15年間の開発者としての経験は、私に自動車の構造やメカニズムに関する深い知識を与えてくれただけでなく、一台の車が世に出るまでに、どれだけ多くの人々の情熱と努力が注がれているかを肌で感じさせてくれました。この経験こそが、私のジャーナリストとしての最大の強みであると自負しています。
開発者からジャーナリストへ:転身を決意した理由
15年間、自動車開発の最前線でキャリアを積んだ私が、なぜ安定した地位を捨ててジャーナリストへの転身を決意したのか。多くの方からこの質問を受けます。
理由は決してネガティブなものではありません。開発者としての仕事には大きなやりがいを感じていましたし、自分が手掛けた車が街を走る姿を見るのは、何物にも代えがたい喜びでした。しかし、キャリアを重ねるにつれて、ある想いが日に日に強くなっていったのです。
それは、「作り手の想いや技術の素晴らしさを、もっと正しく、もっと深くユーザーに伝えたい」という想いです。
自動車メーカーにいると、どうしても自社の製品の魅力しか語ることができません。また、マーケティング上の理由から、本当に伝えたい技術的なこだわりや開発の苦労が、ユーザーに届く前に丸められてしまうことも少なくありませんでした。私は、メーカーの垣根を越えて、それぞれの車が持つ本質的な価値を、開発者だったからこそわかる視点でユーザーに届けたいと考えるようになったのです。作り手の代弁者として、そしてユーザーの案内役として、両者の架け橋になること。それが、私に見出した新たな使命でした。
出版社での経験と「伝える」ことの難しさ
ジャーナリストになる決意をした私は、自動車関係の出版社に転職しました。開発者としての知識には自信がありましたが、「書くこと」「伝えること」は全くの未経験。ここでもまた、新たな挑戦が始まりました。
当初は、技術的な正しさを伝えようとするあまり、専門用語ばかりを並べた独りよがりなレビューを書いてしまい、編集長から「これでは誰も読んでくれない」と何度も突き返されました。開発者時代に当たり前だった専門用語が、一般の読者には全く伝わらない。この事実は、私にとって大きな衝撃でした。
どうすれば、専門的な内容を、誰にでも分かりやすく、かつ面白く伝えられるのか。私は、先輩ジャーナリストの記事を徹底的に分析し、表現方法や構成を学びました。そして、最も重要なのは「読者目線」に立つことだと気づいたのです。読者が何を知りたいのか、どんな言葉なら響くのか。それを常に意識することで、私のレビューは少しずつ変わっていきました。この出版社での経験は、技術知識を「伝わる言葉」に翻訳するスキルを私に与えてくれました。
自動車ジャーナリスト兼コンサルタントとしての現在
出版社で数年間経験を積んだ後、私は独立し、自動車ジャーナリスト兼コンサルタントとして活動を開始しました。
ジャーナリストとしては、各自動車メディアへの寄稿を中心に、新車レビューや技術解説、業界動向の分析などを行っています。私のレビューの信条は、単なるスペックの紹介や主観的な感想に終始するのではなく、開発者としての知見を活かし、「なぜこの車はこのような乗り味なのか」「この技術にはどのような背景があるのか」といった、一歩踏み込んだ解説を加えることです。
一方、コンサルタントとしては、自動車メーカーや関連企業に対して、商品企画や技術開発に関するアドバイスを提供しています。また、個人のお客様からの購入相談も積極的にお受けしており、「あなたにとって本当に価値のある一台」を一緒に見つけるお手伝いをさせていただいています。
私が提供するコンサルティングの独自性
私のコンサルティングが他と一線を画すのは、机上の空論ではない、徹底した「現場主義」と「実体験」に基づいている点です。
私は、レビューで取り上げる車はもちろんのこと、注目すべき車は可能な限り自費で購入し、長期間にわたって乗り込むようにしています。短時間の試乗では決して見えてこない、日常での使い勝手、経年での変化、そして所有して初めてわかる喜びや不満。そうしたリアルな情報を蓄積することが、何よりも重要だと考えているからです。
現在も、私のガレージには様々なメーカー、様々なジャンルの車が並んでいます。それら一台一台との対話を通じて得られた知見こそが、私のコンサルティングの根幹をなしています。メーカーの担当者から聞いた話や、プレスリリースに書かれている情報を鵜呑みにするのではなく、常に自身の経験というフィルターを通して、情報の真偽を確かめる。この姿勢が、クライアントからの信頼に繋がっていると信じています。
なぜ私は情報を発信するのか
私が時間とコストをかけてまで情報を発信し続ける理由。それは、自動車が単なる移動の道具ではなく、人々の人生を豊かにする素晴らしいパートナーとなり得ることを、一人でも多くの人に知ってほしいからです。
テクノロジーが進化し、自動車の姿は大きく変わろうとしています。しかし、どんなに時代が変わっても、優れた自動車がもたらす感動や興奮は不変であると私は信じています。
このメディアを通じて、作り手の情熱と技術、そして自動車が持つ無限の可能性を伝え、読者の皆様が最高のカーライフを送るための一助となること。それが、ジャーナリスト二階堂仁としての最大の喜びです。
私の愛車たちと揺るぎない自動車哲学
ここでは、私の現在の愛車や、特に思い入れの強い車についてお話しします。私がどのような基準で車を選び、何を大切にしているのか。その哲学に触れていただくことで、私のレビューの視点をより深くご理解いただけるはずです。
究極の選択:愛車レクサスLFAとの日々
現在の私のメインの愛車は、レクサスLFAです。この車について語り始めると、それだけで一冊の本が書けてしまうかもしれません。
LFAは、トヨタ自動車が「世界の頂点に立つスーパーカーを創る」という壮大な目標を掲げ、採算を度外視して開発した、まさに夢の結晶のような車です。カーボンファイバー製のモノコックボディ、ヤマハと共同開発したV10エンジン。その全てが専用設計であり、他のどの車とも比較できない孤高の存在感を放っています。
私が特に魅了されているのは、そのエンジンサウンドです。F1マシンの咆哮にも似た、官能的で澄み切った高周波サウンドは「天使の咆哮」と称され、一度聴いたら忘れることができません。アクセルを踏み込むたびに背中から響き渡る快音は、ドライバーの感性を直接刺激し、車との完璧な一体感をもたらしてくれます。
もちろん、その性能も圧倒的です。しかしLFAの真の価値は、そうしたスペックを超えたところにあります。日本のものづくりの魂、細部にまで宿る職人技、そして開発者たちの常軌を逸したとも言える情熱。LFAを運転することは、日本の自動車史における一つの到達点と対話するような、荘厳な体験なのです。
なぜ私はLFAを選んだのか?そこに宿る哲学
数あるスーパーカーの中で、なぜ私がLFAを選んだのか。それは、LFAが「技術と感性の究極的な融合」を体現した車だからです。
開発者時代、私は常にスペックには現れない「感性性能」を追求してきました。LFAは、まさにその結晶です。例えば、エンジンサウンド。トヨタとヤマハの技術者は、単にパワフルなエンジンを作るだけでなく、音響工学の専門家を交え、心地よく、かつ高揚感のある「音色」を徹底的にチューニングしました。
また、そのハンドリングも特筆すべきものです。カーボンファイバーという軽量・高剛性な素材を活かしつつも、決して乗り心地を犠牲にしないしなやかさを併せ持っています。これは、サーキットでの速さだけを追求するのではなく、公道での快適性や運転の楽しさをも見据えた、日本のメーカーらしい奥深い思想の表れです。
パワー至上主義や見た目の派手さだけではない、乗り手の感性に寄り添う奥ゆかしさと、内に秘めた圧倒的な性能。この二面性こそがLFAの本質であり、私が日本の自動車に求める理想の姿でもあるのです。
レクサス LFA 主要スペック | |
---|---|
エンジン | 1LR-GUE V型10気筒 |
総排気量 | 4,805cc |
最高出力 | 412kW (560PS) / 8,700rpm |
最大トルク | 480N·m (48.9kgf·m) / 6,800rpm |
駆動方式 | FR |
トランスミッション | 6速ASG (Automated Sequential Gearbox) |
ボディ | カーボン繊維強化樹脂 (CFRP) |
永遠の憧れ:日産GT-Rへの変わらぬ想い
LFAを所有する今でも、私の心の奥底には常に日産GT-Rの存在があります。幼少期に憧れた「R」のエンブレムは、私にとっての原点であり、永遠のヒーローです。
GT-Rの魅力は、その圧倒的なパフォーマンスと、それを実現するための合理的な思想にあります。特にR35型GT-Rが登場した時の衝撃は今でも忘れられません。「誰でも、どこでも、どんな時でも、最高のスーパーカーライフを楽しめる」というコンセプトのもと、天候や路面状況を問わない圧倒的な走行安定性を実現したのです。
これは、一部の限られたドライバーしか性能を引き出せないヨーロッパのスーパーカーとは一線を画す、GT-R独自の哲学です。その根幹にあるのが、V6ツインターボエンジン、独立型トランスアクスル4WDといった、独創的なメカニズムです。
私は歴代のGT-R、特に第二世代と呼ばれるR32、R33、R34を全て所有してきました。それぞれのモデルに個性があり、進化の過程を肌で感じることができます。
歴代GT-R(第二世代)の比較
モデル | エンジン | 最高出力 | 最大トルク | 特徴 |
---|---|---|---|---|
R32 | RB26DETT | 280PS/6,800rpm | 36.0kgm/4,400rpm | グループAを制覇するために生まれたピュアスポーツ。シャープなハンドリングが魅力。 |
R33 | RB26DETT | 280PS/6,800rpm | 37.5kgm/4,400rpm | ホイールベースを延長し、高速安定性を向上。よりグランドツアラー的な性格を強めた。 |
R34 | RB26DETT | 280PS/6,800rpm | 40.0kgm/4,400rpm | 第二世代の集大成。ボディ剛性を大幅に向上させ、空力性能も洗練された完成形。 |
GT-Rは、常に時代の最先端技術を取り入れ、進化を止めない車です。そのひたむきな姿勢は、開発者としての私の心にも深く響きます。LFAが「感性の極致」であるならば、GT-Rは「合理性の極致」と言えるかもしれません。この両極端な魅力を持つ2台を所有することで、私は自動車の持つ多様な価値を日々実感しているのです。
ガレージに並ぶ愛車たちと私のこだわり
私のガレージには、LFAやGT-R以外にも、様々な車が並んでいます。それは決してコレクションのためではありません。それぞれの車が持つ独自の哲学や歴史を、日常の中で深く理解するためです。
例えば、ポルシェ911 (991型)。リアエンジン・リアドライブという伝統的なレイアウトを守りながら、最新の技術でそれを進化させ続ける。その一貫した姿勢は、自動車メーカーの鑑とも言えます。911を運転すると、長年にわたって培われてきた熟成の極みを感じることができます。
また、**マツダ ロードスター (ND型)**も私の大切な一台です。「人馬一体」をコンセプトに、絶対的な速さではなく、運転する楽しさを徹底的に追求したライトウェイトスポーツカー。パワーやスペックが車の価値の全てではないことを、ロードスターは雄弁に物語ってくれます。
さらに、実用的な車としてトヨタ アルファードも所有しています。多人数での移動や、長距離の取材で機材を運ぶ際に活躍してくれますが、単なる移動の道具として見てはいません。高級セダンに匹敵する乗り心地や静粛性、そして徹底的に考え抜かれた室内の使い勝手。ここにもまた、日本のものづくりの真髄が詰まっています。
このように、スーパースポーツから実用車まで、様々なジャンルの車を所有し、日常的に乗り比べることで、それぞれの車の本質的な価値を多角的に評価する視点を養っています。
メーカーの垣根を越えて車を評価する視点
私がレビューを行う上で最も大切にしているのは、特定のメーカーやブランドに対する先入観を一切排除し、常にニュートラルな立場で車と向き合うことです。
開発者時代は、当然ながら自社の車が一番だと信じていましたし、ライバルメーカーの車に対しては批判的な目で見ていた部分もありました。しかし、ジャーナリストとして独立し、あらゆるメーカーの車に分け隔てなく触れるようになって、その考えは大きく変わりました。
どのメーカーにも、独自の素晴らしい哲学があり、誇るべき技術があります。例えば、スバルのシンメトリカルAWDがもたらす独特の安定感、ホンダのVTECエンジンが持つ高回転域での官能性、BMWの直列6気筒エンジンが奏でるシルキーなフィーリング。それぞれの魅力は、優劣で語れるものではありません。
私の役割は、そうした各メーカーの個性を正しく理解し、その車がどのようなユーザーにとって最高の選択肢となり得るのかを提示することです。メーカーのファンであることも素晴らしいことですが、一歩引いて全体を俯瞰することで、より豊かなカーライフが拓けるはずです。
これからの自動車業界に期待すること:EVと自動運転の未来
今、自動車業界は100年に一度の大変革期を迎えています。電動化(EV)、自動運転、コネクテッドといった技術が、自動車の概念そのものを大きく変えようとしています。
私は、この変化を非常にポジティブに捉えています。特にEVは、従来のエンジン車では実現できなかった、新たな走りの楽しさを生み出す可能性を秘めています。モーターによる静かで滑らかな加速、バッテリーの低重心レイアウトがもたらす安定したハンドリングは、間違いなく新しい時代のドライビングプレジャーです。
しかし、だからといってエンジン車が完全に過去のものになるとは思いません。LFAのエンジンサウンドのような、内燃機関でしか味わえない官能的な魅力は、今後さらに希少価値を高めていくでしょう。EVとエンジン車が、それぞれの魅力を発揮しながら共存していく。それが、私が描く未来の姿です。
自動運転技術についても同様です。レベル5の完全自動運転が実現すれば、移動の概念は根底から覆ります。しかし、私は「運転する喜び」が失われるとは考えていません。むしろ、退屈な渋滞や長距離移動を車に任せられるようになることで、景色の良いワインディングロードを自分で運転するといった、本当に楽しい時間だけを味わえるようになるのではないでしょうか。
技術の進化を正しく理解し、その恩恵を享受しながらも、自動車が本来持つ「運転の楽しさ」や「所有する喜び」といった本質的な価値を見失わないこと。それが、これからの時代を生きる私たち自動車好きにとって、非常に重要になると考えています。
私が考える「良い車」の定義とは何か
長年にわたり自動車に携わってきて、私がたどり着いた「良い車」の定義。それは、極めてシンプルなものです。
「作り手の哲学と情熱が、乗り手に明確に伝わってくる車」
スペックが優れていることや、価格が安いことは、もちろん重要な要素の一つです。しかし、それだけでは人の心を動かすことはできません。
この車は、乗り手に何を感じてほしいのか。どのようなカーライフを提案したいのか。その思想が一貫しており、細部にまでこだわりが貫かれている車。そうした車には、スペックシートには現れない、魂のようなものが宿っています。
LFAの官能的なサウンド、GT-Rの合理的な速さ、ロードスターの人馬一体感。これらは全て、開発者たちの揺るぎない哲学が生み出した価値です。そうした作り手のメッセージを受け取り、対話しながら走る時、車は単なる機械を超え、かけがえのないパートナーとなるのです。
このメディアを通じて、そうした「魂の宿る車」の魅力を一つでも多く伝えられたら、これに勝る喜びはありません。
まとめ
今回は、私の自己紹介として、これまでの経歴や自動車に対する哲学をお話しさせていただきました。
幼少期に抱いたGT-Rへの憧れから始まり、開発者として理想の走りを追求した15年間、そしてジャーナリストとして作り手の想いを伝える現在。私の人生は、常に自動車と共にありました。
このレビューを通じて、私が単なるスペックやデータだけでなく、その背景にあるストーリーや哲学をいかに重視しているか、ご理解いただけたかと思います。
これからも、開発者としての知見と、数々の車を所有してきた経験を基に、メーカーの垣根を越えた公平かつ深掘りしたレビューをお届けしていきます。この情報が、あなたのカーライフをより豊かにするための一助となれば幸いです。
今後とも、二階堂仁のレビューにご期待ください。